「九条の会」奈良

この小森陽一先生の講演記録

 これは4月3日、九条の会福岡連絡会の5周年記念として「いのちと憲法を語る」音楽と講演のつどいでの小森陽一先生の講演記録です。先日の奈良での講演もほぼ同様の展開でしたので紹介します。(テープおこしは物理的に無理ですので・Y)。なお奈良県では講演の冒頭は前日北海道で講演されたこともあり「北海道新聞」の社説の紹介から話し始められました。

 皆さんご存じのように、九条の会のアピールをだしたのが2004年の6月10日でした。読売新聞という新聞社は、4月の第一週に、今も4月の一週ですよ、ここが大事なんです。4月3日にこんな大きな集会が開かれているという、全国的な意味があるんです。

 2004年4月第一週の世論調査の結果はですね、65%の人たちが「憲法変えた方がいい」と回答し、「憲法変えない方がいい」という人が20%台でした。 このときに今本当の意味で、憲法9条をはじめとする日本国憲法を守るためだけではなくて、しっかり生かしてゆく日本国憲法を呼びかけて、「一体いつ立ち上がるんだ」89年の長い生涯に、運動というものをなさったことの無かった、亡くなられた加藤周一さんが「ここでやるしかない」という決心をされたんですね。

 まず誰に最初に相談しますかと言ったら、大江健三郎くんだろうと言われた。

  信頼感をたかめる人たちにはたらきかけ、あの9人の呼びかけ人や、九条の会のアピール文面で一致しました。9条の会のアピール、お分かりでしょう。あの9人がどれだけ自己主張の強そうな人か、あの9人とまず同じ文面で一致するということは至難の技だったんです。

 そして記者会見をしました。すべての新聞社の報道は黙殺でした。その日のテレビのニュースでは、15秒の放送でした。15秒で一体なにが分かりますか。ただ、老人がズラッと並んでいるだけ。翌日は、新聞はほとんどベタ記事です。ベタ記事というのは、ほんの数行です。ですからもう、9人のお名前すら載らないんですよ。「井上ひさしさんら9名」「大江健三郎さんら9名」、残り8人は「ら」一文字の中に押し込められている。

 お分かりですね、2004年ですから、2003年3月にアメリカとイギリスがイラク攻撃をはじめて、日本の小泉政権はそれに全面的に協力するというかたちで、陸上自衛隊を戦場に派兵してゆく、「9条があるから国際貢献ができないんだ」と、その前から小沢一郎という政治家が言っていたフレーズが、毎日のように報道されていたのが2004年です。ですから、「憲法変えたがいいが65%」になっていたんです。そしてそもそも、小泉劇場がどうやって始まったかといえば、先ほど品川正治さんがおっしゃった、危険な商品を売ってそれで崩壊すると分かって売ってるわけですからね、崩壊したときには日本の郵便貯金と簡易保険を自分たちの救済策にあてるというために2001年に郵政民営化を公約に掲げて小泉純一郎が総裁選に出た訳でしょ。絶対アメリカは、橋本龍太郎にやらせたくなかったんですよ。  

 橋本龍太郎という政治家は総理大臣のときにあの「普天間基地を返還させる」ということを、日米首脳会談で交渉した総理大臣であり、さらに外国人記者クラブの講演の後で、質問させ、「最近はロシアも中国も経済力をつけていろいろな国の国債を買ったり売ったりする、しかし不思議なことに日本は双子の赤字をかかえている、国家財政も赤字、貿易も赤字と、借金だらけだ、アメリカの国債をずっと買い続けて一度も売っていませんね、何か特別な意味があるんですか」という記者クラブの質問が出た。そこで橋本龍太郎は、日本語でね「私だって売りたいという、願望に駆られないことはない」と3重否定で答えた。通訳が面倒くさいので「売りたい」と伝えた。それでアメリカの新聞で大バッシング。

 岸信介が1960年に日米安保条約改定をしたあと、今年で改定50年ですね、改定した後、軍事同盟のアメリカが、「ソ連の核の脅威に対して核の傘で日本を守る、この見返りに日本は毎年アメリカの経済要求を聞け」郵政民営化、週休2日制みんなそうです、一体何百兆円損したか分かりません。そういう中でアメリカの赤字国債を国の税金で毎年買わなければならないようになっているんですよ。橋本は絶対総理大臣にさせたくないというあのころから、郵政民営化をねらっているアメリカの保険会社だったでしょう。AIGグループ、AIUグループ、アリコ、アフダック。「ア」がついたのは要注意。

 小泉が2002年に突然、北朝鮮を訪朝した後、日本人拉致問題でメデイアは大バッシングで、「北朝鮮問題があるから日米安保条約体制を強化しなければならない。」「アメリカの軍事行動に協力しなければならない」と、大宣伝をやっていたのが03年、04年なんです。

 「9条の会」なんてもってのほかだったんです。だから小田実さんは、全国で講演会をやるしかない。東京は7月24日だと、日にちまで決まっているんです。何で7月24日ですかと聞いたら、9人がみんな空いてる日だというんですね。さすが前衛的な活動家だと思いましたね。でも東京に、千名以上入る会場がないんですよ。そうしたら、ある宗教者から電話があって、私は某有名ホテルのオーナーと宗教的儀式をつかさどっている。7月24日は宴会場が3部屋続きで空いている、これをぶち抜くと千名以上入る。その某有名ホテルの名前を聞いて背筋が凍りましたね。運動がはじまって一日目ですから、お金って私の貯金ぐらいしかない。そんなとこ借りられないと思ったら、しばし沈黙が続いたので、その宗教者の方は、「値段を心配でしょうが、私は十分できる額に値切りました」宗教者が値切るのか、でこの運動のありかたの確信を持ちましたね。 そこからはじまって全国の主要都市で第2会場、第3会場を埋めるかたちで成功させ、そして2004年の年末、那覇でやりました。 琉球新報、一面報道。小田実さんは嬉しそうに朝のコーヒーを飲みながら、「久々に俺は一面を飾ったよ。」

 そこから呼びかけに応えて、それぞれの地域の九条の会をつくっていただいて、2005年の3月、福岡で「9条の会連絡会」が主催するところまできた訳ですね。2005年までに全国で九条の会が二千。

 このときには小泉純一郎の郵政民営化は、「YESかNOかの国民騙し」に、国民はだまされてしまった。衆議院では自民党と公明党が3分の2以上とって、いつでも憲法改悪できるという状況になったんですね。そしてこの郵政選挙は9月11日でした。その2ヶ月半後10月28日に自民党は「自民党新憲法草案」という明文改憲の案を出したんです。そこで明確に9条2項つまり「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」という戦力の不保持と「国の交戦権を認めない」というまさに日本国憲法の独自性を持っているこの条文を削りとって、「自衛軍の保持」を明示した、この新憲法草案ができて、これが新聞に発表された2005年10月29日から今問題になっている普天間基地の移設先を名護の辺野古にするとかいうことを含めた、世界的な規模における米軍の再編成の中で、日本のアメリカ軍の基地をどう変えて行くのかという、協議が始まるんですよ。何のための憲法改悪かということははっきりしてた。アメリカの戦争の片代わりに日本人の命を、命の日本人の金でやる、それが明らかになってきた。

 2005年はまだ全国で二千、2006年に四千を大きく九条の会が突破します。2007年には六千を大きく突破します。毎年二千づつ地域の9条の会が増えてきた。

 そして2007年自らの任期中に新憲法制定をする改憲を明確に方針に掲げた安倍政権、国会では改憲手続の国民投票法の委員会が強行されていた。その2007年の4月第一週読売新聞の世論調査、で3年続けて「憲法変えない方がいいという人」が増えつづけている、「憲法変えたほうがいいという人」が減り続けていると悔しそうな報道をしたんです。3年続けてというのは、05年、06年、07年つまり9条の会が草の根で広がればその分だけ、はっきりと世論は「憲法を変えない方がいい」という人が増えて、「変えた方がいい」という人が減るという状況が起きたんでしょう。

 ですからこの報道があった10日後、当時の民主党の代表の小沢一郎が、安倍晋三政権が進める「憲法改悪路線」には乗らない、当時国民投票法の議論がされていた「委員会」の民主党の理事をおろすわけです。

ここで安倍晋三は小沢民主党の支援をはずされたわけですね。ですから2007年7月19日の参議院選挙では民主党を中心にした野党が参議院で多数になるという、ねじれ国会になったわけですね。そしてその参議院選挙の2日後、小沢一郎が記者会見をして、安倍晋三政権が進めようとしている2001年のアフガニスタン戦争から始まったインド洋でのアメリカ軍をはじめとする艦船に日本の税金で給油するという、テロ対策特措法がありますね、その延長に反対すると言ったんです。しかも「憲法違反だ」といったんです。

 私は小沢一郎という政治家の口から「憲法違反」という言葉がでるとは全く思っていませんでした。だって小沢一郎こそが湾岸戦争のときに、会見で「完全武装で自衛隊をイラクに出してもいい」と言い出して、「9条があるから国際貢献ができない。9条こそ、無くそう」というキャンペーンをしてきたわけでしょう。

 ですから私たち九条の会の草の根の運動で、国民の世論を一つひとつ変えていった。なかなか皆さんね、実感はないと思うんですよ。でも、ちょっと考えてみてください、地域の9条の会が持続的に活動している。その地域の人々はどいう日々の日常を送っているのか、たとえば9の日に自分たちの地元の電車の駅で毎月、「九条守りましょう」とビラをまいたり宣伝をしているわけです。ズーッとやってるわけですよ。それを1年、2年と見ていると、北朝鮮でガタガタしても、自分も「9条守りましょうと言っていいんだな」と、2年たち、3年たつと雰囲気が変わってくるわけですね。これはね「継続は力なり」です。だから段々署名をする人が増えていったりする。 自分の居住区で過半数の人たちに「九条絶対変えない」と実現したところは、街の雰囲気が違いますね。

 12月8日に、住民の過半数を実現した長野県のある町にゆきました。9条の会の講演会がおわって、居酒屋へいって、二次会でご苦労さま打ち上げしたんですね、そこのマスターが出てきてね、「九条の会の事務局長小森さんですか」色紙持ってきてサインしてくれ、わたしは『九条の主張を世界に輝かせよう』と書いて、小森陽一とね、芸能人と並んで、ああここまで、雰囲気が変わるんだ。

2008年の4月第一週の読売新聞の世論調査は悔しそうに、15年振りに「憲法変えない方がいい」という人が「憲法変えた方がいい」という人を上回った。と報道していました。15年振りにって大事ですね。2008引く15、1993年。 最初の政権交代が自民党単独政権がくずれた細川護煕政権ができたときから、その前に延々湾岸戦争に出なかったというので、「9条があるから国際貢献が出来ない」という世論を小沢一郎がつくって、93年からクリントンが日米安保条約を継続させる為に、だって91年にソ連が崩壊しているわけですから、もはやソ連の核の傘の脅威って無いわけでしょう、そのときにクリントンは北朝鮮を訪問した。(米国人記者の救出)以来、「北朝鮮があるから9条は変えないといけないのではないか」というウソ。

 これを転換したのが2008年。世論というのは雰囲気や気分感情を含めたものです。本当にわたし達が地域のひとりひとりの顔を見て、あのうちは大丈夫「九条を生かす人だ」とわかってつかんでいれば揺るぎませんよ。でもそういう結びつきに成っていない所では、雰囲気で動いちゃう。2009年去年は丁度4月第一週、北朝鮮がロケットを発射する。これを日本は「ミサイル発射」という。当時の川村官房長官、「人口衛生が乗っていなかったからミサイル」といいます。違います。人工衛星が乗っていれば人口衛星の発射、弾頭が乗っていればミサイルの発射、なにも乗っていなければただのロケットの発射。それぞれの東北6県をミサイル防衛計画で、向こうが撃ってきたら、こちらからミサイルを打ち上げて落とすというんです。無理ですよ。むこうから撃ってきたピストルの玉をね、こっちから打ち落とす。玉と玉をネ、当てて撃ち落とす。誰ができるか、ゴルゴサーテ―ン位しかいない。今笑った人はビックコミックを読んでいる。そうゆうのを中継して、実況中継しているんですよ。ミサイルを打ち込むならば、まずミサイルを叩いてから打ち込む。北朝鮮に実況中継してどうするんです。やる気ないのは明かです、ただ国民を騒がせているだけです。

 そうやってね、号外まで出してねマスメデイアがあおりにあおってから、2010年もう一度「憲法変えた方がいい」という人が過半数になったんです。

まだ流動的なんです。

 ですから私たちは、日米安保条約が本当に日本の安全のためなんですか、根源的な機運が、沖縄ではですよ、全会派一致でアメリカの基地はもういらないと、普天間を返すだけで新しい基地はつくるなと言っているんですよ。沖縄は完全にもう九条の会運動状態になっている。こんなことは歴史上一度もなかった。今までそんなことを考えてみなかったことを、国民が毎日毎日、考える状態に来ているんです。

 ですから今、私たちが九条を守るだけではなくて、本当に生かしてゆくかどう、日本という国のあり方に、そしてアメリカとの関係を変えることができれば、さきほど品川さんがおっしゃたように、私たちが世界史を変えることが出来るんです。

 日本では拉致問題しか言われていない、六カ国協議に北朝鮮がもどってくるかどうかの正念場ですね。六カ国協議というのは日本では拉致問題しか報道されていませんが、めざしているのはまだ終わっていない。1953年私が生まれた年に、休戦協定だけを結んだ朝鮮戦争の講和条約をアメリカと北朝鮮が結ぶというための交渉なんですよ。なぜ講和条約を結んでないかというと、講和条約を結んじゃうと、日本にあれだけの米軍基地を置いている正当性が無くなるからなんです。いま大きな決定的な転換点に来ているんです。 今こそ九条の会の出番なんです。ここで私たちが手を抜くとですよ、なんとなく安倍さんやめて、もう明文改憲はでてこないんで大丈夫だ。国民投票法出来たけど、そんなにすぐには出てこないだろう、この気をぬいていると、やっぱり世論は変わってしまうんですよ。私たちが〃今こそ九条の会が出番なんだ〃と、お互い今日確認し合い、「九条守り生かす」ことこそが、最大の矛盾を変えてゆくことになる。九条はじめ憲法を守ることが私たちが生き抜くことにつながってゆく。そのことは、あの湯浅誠という、理論化であり活動家がすべての「法」からはじき出された人々、2008年から2009年の派遣村に厚生労働省の前にこのまま放置されたら、私は人間として生きて行けないという人たちが、25条掲げて直接なんとかせよと国家に向かってゆく、そういう場をつくったんです。憲法というのは、私たち一人ひとり主権者である人間としての尊厳をもった、一人ひとりが国家を縛る法律だということ。
わたしたち、目にものみせてやろうではありませんか。ともに、がんばって行きましょう。                                  (了)
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by 9jo-nara | 2010-05-09 10:07
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