「九条の会」奈良

2008年 01月 29日 ( 1 )


反対の声を汲み上げ、重ね合わせようー憲法研究者 奥平 康弘

 皆さん、こんにちは、奥平康弘です。
 事務局長の小森さんのお話にありましたように、「九条の会」の本質は九条を守り生かすことにありますが、憲法改正問題というのはやはり揺れ動く政治状況の中にあるものですから、自ずからこの度の政権交代のような突発事故に出会うのは不可避です。ほとんど誰も予想することができないような形で、また、その結末をどうつけるかということも分からないまま、若干の不確定要素を抱えて、私たちの憲法改正反対運動に影響を与えることになります。

 これをどう生かしていくかということは、これが憲法改正問題にどう関わるかということ、その関わり方いかんによっては、今後どうしたらいいのかという心構えにも関係してくると思います。この度の政治変動は、主として日本の政治支配層の側の事情に起因するもののようですが、しかし、「支配層の側の事情がどうあろうと、こちら方は」という問題の立て方もありうるわけだし、それからまた、「今度の政治変動は、憲法改正という保守体制の年来の大方針に、日程上の変更をもたらすことはありうるとしても、大局の変化は生じることはなかろう」という捉え方もありうる。不確定要素というものがあるにしても、わが道を行くと言いましょうか、従来から考えている路線を、我々の論理で、我々の力で、確信をもって前へ進めていくということ、つまり憲法改正というとんでもない暴挙をたたきつぶすことに全力投球するほかあるまい、と思います。

 このところの政治変動の一環として、いわゆる大連合の企てみたいなものがなぜか生じました。しかし、それは当初から予測されていたように壊れてしまった。では一体、大連合の代わりに新しい政治環境として、どんな政治的再編成が企てられ、どのように再編成されることになるのでしょうか。多分その行き方いかんによっては、国民投票法が予定している改憲手続きの方向への動きにも、多少担い手の構成に若干新しい工夫をこらしながら出てくるかもしれません。つまり、自民党的なるものを中心にして考えてきたところへ、今までは要素としては考量の外に置かれていた(しかし、けっして無視されてきたわけではない)小沢一郎的なるものが加わって、改正問題にいわば色彩による若干の違い、あるいは運動の加速の仕方の若干の違いというのが出てくるかもしれません。こうした政治分析・政治予測は、僕の専門ではございませんけれど、そういう問題をどう考えるべきかということに思いをめぐらす必要があるのかもしれません。しかしながら、改憲反対の一点にしぼって政治勢力の結集をおこないつつある我々が、あちら側の右往左往振りにかまけている必要はありません。
あるいはそうすることは正しくないのだ、と思います。向こうの改憲運動の日程や手順に多少遅れや緩みがでてくるにしても、「出る釘は打つ」という我々の政治目標に変化はないはずです。ゆるぎなく、我々は原理原則に徹して闘いを続け、カの結集に努めるのみです。

 明確に考えていたわけじゃないけれども、ある一つのレッテルとして、ああそうだ、やっぱりそうだよ、こういうふうに捉えればいいんだという手掛りの一つは、新聞に載っていた小さなコメントです。外から見れば日本の政情というのはよく見えるわけで、ことの本質とは言いませんが、一つのキャラクター、ある性格というのをうかがわせるということはできる、そういうコメントの一つがある新聞に載っていました。コロンビア大学の政治学の教授でジエラルド・カーティスという人が書いた論文です。それには、小沢一郎というのは戦略家ではなくて、戦術家だと規定し、そうした規定付けによって、小沢氏の動きについてある種の分析をしています。

 このばあい、戦略とは、全局的な見地からある種の原理原則にもとづいて広範な作戦計画を立て、個別の闘いをたばねて運用すること、と定義することができると思います。小沢氏は、そういう大局的な見地から物を考えるタイプの政治家ではない、とカーティス教授は考えるわけです。カーティス教授によれば、小沢氏は単に目先のことにだけ心が動き、小さな限定された目的達成のため、一生懸命になる策略家でしかないということになります。お手元の英和辞典を引いてみていただくと分かりますが、ストラテジーとタクティクスとの違いですよね。タクティシャン策略家というと、テクニシャンと言うか、タクティクスにたけるもの、つまり策略にたけるもの。

 ですから、策略にたけるやつのその策略がどこから出てどうなるかということは、僕らはあれこれと憶測する必要はないというか、それを憶測することにあまりエネルギーを費やす必要はないということ、そういうことを理解し、僕ら自身が割り切っていくべきだ。あれは策略である。策略にすぎない。策略が策略として意味があるのは、例えば総選挙という状況になった時で、そのときには、さあどうするかという問題が出てくるかもしれないけれど。憲法改正問題というのは、策略でもって動こうとしている力をどうやって原理的なるもので、あるいはもっと大きな歴史の中で捕まえていって、それを機に政治力を結集して戟うかという問題だと考えると、あまりちまちまと、ちまちました状況に捉われるべきではない。捉われてはならないのだ、という考えを僕はもつに至りました。僕は本当に政治問題の専門家ではございません。そのように受け止めて、我々も一応、我々の従来どおりの原理原則を立てて、進めていけばいいのだということだろうと思っているわけです。従来どおりというのは、何も反省するなという意味ではまったくなくて、従来どおりのことをどう思うかという議論を、皆さんでしていただき、それを確認したり、修正したりしながら展開するということと思っております。

 僕は立ち上げのメンバーの一人であったため、「九条の会」に関わらせていただいて、皆さんの声をお聞きして、そこで一種のコミュニケーションが生ずるなり、感じるなり、今まで考えてみなかったことがいろいろある中で、実を言うと、僕が学んだことはものすごく沢山ありまして、「九条の会」から何を学んだかということでお話したいというほど、大きいテーマではあるのです。地域の皆さんと接触する過程で気がついたことで、一つだけ言及させていただくと、「九条の会」の皆さんとある種の行動を一緒にする中で、僕は憲法研究者、とくに九〇年代以前の憲法研究者というのは、ある意味で憲法の解釈が固まっていたと気づきました。憲法の九条第二項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」といっている。自衛隊、つまり一九五四年にできあがった自衛隊法というのは、これは憲法違反ではないかー従来、憲法違反といえば一本調子に、とは言いませんけれど、そういうものとして展開してきました。いまでも僕はそう思っているけれども、しかし、それだけでは、いま九条を、特に九条の二項を改正しようとする動きには対抗し得ないらしい。憲法九条第二項を守ろうとする人たちは、ただ単に自衛隊反対という一つの解釈に基づいている人たちだけではなくて、どちらかというともっと別々に、いろんな根拠をもっている人たちがいる。今年に入ってから九条の改正に反対だ、やっぱり九条は守るべきだろうという意見ががぜんいろいろな、何と言いましょう、バラエティをつけながら出てきていて、新現象だなと僕は思っていました。

 いままであまり憲法問題や、あるいは憲法改正問題について語らなかった人びとの中から、新たに、憲法九条改正反対だという声がいろいろなニーズをもって出始めてきて、これは新しい現象として見るべきだぞと思っていたわけですが、先ほど小森さんのちょつと言われたことにも関係するのですけども、「私は憲法改正した方がいいと思うけれども、あの安倍総理だったら嫌だよ」という声が出てきて、これって何だと興味をもったわけです。すごいペースで、そして、憲法九条問題だけではなくて、稔ざらいで何もかも大急ぎでやろうとピッチを上げる。上げてきたつもりが、実は蹟きの石みたいなものを作るという結果となってしまって、「それはおかしいよ」、「こんなペースでやるべきじやないよ」、「あの人の下での憲法改正は絶対反対だ」、「私嫌だ」という声となり、その挙句のわけですよね。

 ですから、いま新しい現状が展開しつつあることを考えてみれば、もう一押ししたら向こうが壊れてしまうというほど生易しい状況ではないけども、憲法改正は反対だという声の根拠はさまざまにあり、そのいろんな根拠を僕たちはアピールして、「ねえ、憲法九条改正反対だよね」、「憲法改正することは良いことじやないよね」という声を糾合していく、そういう運動のありようが、「九条の会」の運動のありようの一つであろうと、僕は思うのです。
 僕はそれをオーバーラッピング・コンセンサスと呼ぼうと思う。オーバーラップと言いますね、重なり合う。この呼びやすい言葉でオーバーラッピング・コンセンサス、つまり、憲法改正には反対だという一点では、あるいはそうした結論ではオーバーラップしている、多くの人たちはその結論に至る筋道、いわば論理というのは異なっていても、結論はオーバーラップしている。憲法九条問題を政治問題として向こう方が蹴ってきた時、蹴り返すこと自身が政治的にぜひ必要である。こっち方が蹴りなおす、蹴る、蹴って返す、そうでなければ政治的に成功したことにならない。そうであれば、政治問題として向こう方が蹴ってきたなら、いろいろ理由は異なるにしても、これは断固として一点において糾合する。糾合して、現実の力関係の中にそれを反映させるというのが「九条の会」の一つの重要な使命なんだろうということを、九条の解釈にだけ凝り固まっていた奥平康弘は、「九条の会」に参加することによって気づき、九条の解釈だけでは改正反対の動きにはならんのだということを教訓として学んだわけです。

 とりあえず一番最初のお話で、わけのわからない話になってしまいましたが、終わります。




第二回全国交流集会でのあいさつー「報告集より」 文責 Y
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by 9jo-nara | 2008-01-29 23:13 | 全国の経験から