「九条の会」奈良

2008年 01月 30日 ( 1 )


「守る」ことと「生かす」ことー             評論家 加藤 周一

 「九条の会」には私もはじめから関係したのですが、会の名前は大勢の人に訴えるスローガンですから、なるべく簡単で明瞭なほうがいいわけですね。しかし、明瞭だということと、簡単な方がいいということとは、うまくおり合うとはかぎりません。現に「九条の会」と言っても、九条をどうするかということは全然言ってないわけですから、九条を改めたいという人も「九条の会」をつくるかもしれない(笑)。私たちは「九条の会」と言えば、天下の常識として、日本国の現在の常識として、守る方に解釈するのが当然だろうという立場です。

 しかし、振り返ってみると、「九条の会」の集りで、改憲の人は含んでいないのですが、私たち自身が九条を「守る」と言うことも、九条を「生かす」と言うこともありました。その二つはちょっと違う。例えば、九条を守るというのは改憲に対する反対です。その定義ははっきりしています。明文を変えるーどういうふうに変えるのであっても、変えることに反対であるというのが、九条を守るということ、九条の条文を守るということですね。

 九条を生かすの方は、もう少し複雑です。条文は今のまま、できたときから今まで続いていますが、その解釈はだんだんに変わってきたわけで、それがいわゆる解釈改憲です。解釈次第で同じ条文の意味・内容は変り得るということを前提としている。変形は一定方向のこともあり、行きつ戻りつして方向の定まらぬこともある。戟復改憲をめざしてきた自民党の政府は、九条に関するかぎり、一定方向(政治的「右」寄り、軍事力増強)の解釈改憲を積み重ねてきました。すなわち憲法の精神の否定です。憲法の精神を「生かす」というのは、その反対で、平和憲法の精神を延長するというか、強めるというか、いわゆる「解釈改憲」の内容の正反対の方向で積極的です。

 例えば、現在の石油問題、インド洋でアフガニスタンに向けて作戦している外国の軍艦に自衛隊がタグで石油を供給しています。これには、二つの解釈があるわけで、一つは、憲法に抵触する、違憲であるという考え方と、解釈次第であれは一種の合法性
をもっているのだという主張と、大きく見て二つです。

 合法性の主張の内容は、大雑把にいえば、憲法に抵触しないというより憲法を超えるといいましょうか、憲法以上に大事な人間の法とか、国際的秩序の維持とか、超大国からの圧力とか、そういうことがあって、そのためには日本国憲法にあまりこだわらないで、憲法を超えても特別な行動をとらなくてはならない場合があるという理屈です。「テロを退治するための戦争」なんていうのが、その特別な行動ということなのですね。ですから、テロを退治する戦争は、国連に加盟している国の憲法に抵触しても、憲法以上に強力なものであるという主張です。そういう意味で自衛隊の参戦(後方支援)も合法的になるという考え方です。憲法以上の一種の法的秩序を代表しているのが集団的自衛権で、石油を供給
するのもそれに属すると、そういう解釈ですね。

そうなると、果たして、アフガニスタンやイラクを目標としてインド洋で行動している各国の軍の活動が、憲法以上の高い目標、つまりテロ退治という目標を追求しているのかどうかという問題が出てくるわけです。アフガニスタンの次はイラク。イラクでの米国の軍事的な行動が、日本国憲法を超えるような高い理想を追求しているものなのかどうかということが問題になります。それには二つの意見がある。解釈次第ではそれは一種の合法性をもっているという考え方になるわけでしょう。
 憲法を「守る」だけじゃなくて、その精神を「生かそう」とすると、二つの分かれ道になって、一つは、超憲法的社会秩序もしくは国際秩序に奉仕するように行動するか、もう一つは、超憲法的国際秩序が問題になっているのではなくて、ある強大な一国の意思が中心になって、テロ退治にはなっていない武力の行使がなされた -― 何のために武力が行使されているのか極めて複雑な状況をそのまま認めるか、その二つに分かれるわけですね。

 そこで我々の「九条の会」は、九条を「守ろう」と言っているのか、あるいは一歩前に出て「生かそう」と言っているのか。生かそうという言葉は時々使われましたけど、中心は守ろうでした。なぜならば、「九条の会」が出発したのは、我々の方から始めたというよりも、政府が、ことに小泉内閣や安倍内閣が、議会の多数派を使いながら、憲法の明文を変えようとする、改憲をしようとする運動を急速に、爆発的に押し出してきたからです。それを黙って見ているのか、反対するのかという状況になった。改憲が強引に、それに対する反対意見も、批判意見も無視してごり押しされつつあったから、それに対する抵抗として「九条の会」をつくつたわけなんですね。だから、「九条の会」は当然守るということになる。

 しかし、だから九条を守れば、自動的に憲法を生かすことになるとは限らない。その具体的例が、インド洋の給油でしょう。日本国憲法は今生きている、しかし、それを超えて軍事行動をして、その軍事的な行動が合法的だという理屈は、さっき申し上げた理屈です。
 しかも、安倍内閣から福田内閣に代わって、政府の言説はもう少し手の込んだ理屈になり、行動様式も非常に慎重になるでしょう。現に状況の判断がより現実的に細かくなってきている。二つの内閣には、そういう変化があるんですね。福田内閣の方が、はるかに洗練されていて、比べものにならないほど手ごわい相手だと思います。明日改憲しようというのではなくて、もう少し様子を見ようというふうに変わってきた。

 ですから、私たちの運動も、「九条の会」にとっては九条を守ることがもちろん第一義的だけれど、同時にそれだけではなくて、「生かす」ことが念頭にくる必要があると思います。権力側で改憲を望む人は、いきなり改憲ではなくて、むしろ解釈改憲の伝統をそれこそ生かしながら、だんだんに九条の内容を空虚にして、事実上ないのと同じようなところに追い込んでいくという手をとるでしょう。おそらくそうなると時間もかかるから、もちろん今年の内にとか、一年の内にとかいう話ではなくて、何年かかけて次第にそういうふうにもっていくのではないか。おそらくこれからは長丁場になるでしょう。それに抵抗するには、やはり九条を守るというだけではなくて、九条を生かす必要があるのだということを強調する必要が出てくるのではないかと思います。

 そうすると、どうすれば九条を生かせるかという問題になるのですが、条文を守るということよりはかなり面倒なことになるでしょう。相手側の解釈改憲の理屈を破らなければならない。それはちょっと手の込んだ仕事になるけれども、それを我々はやらな
ければならないと思います。

 憲法を改正するのは戦争のためで、いきなり戦争できるようにこの国をするためです。しかもそれはこれから先、何年間にもわたってです。改憲がゆっくりくるようになると長丁場にならざるを得ないわけで、これからは問題が複雑になると同時にゆっくり進むようになるでしょう。劇的な花火を打ち上げるという形ではなくて、日常的に地道に抵抗を続けていくよりしようがないと思います。少なくとも、その面を含まなければならないと思う。

 だから、二つあると思います。

 第一は、おそらく長丁場であるということを意識して運動をやるということ。今年だけ運動が活発なのでは駄目で、長く活発にやる。拡大した組織は、ゆっくり大きくなる。劇的に大きくならないけれど、ゆっくり確実に大きくなるのだということをはっきり意識しなくてはならない。これは大きな仕事だと思います。しかし、意識的にそういう方向に動くべきではないかと、私は思います。

 それから第二は、あまり抽象的なことばかりではなくて、すべての問題を日常性に結びつけなければいけないということですね。憲法を改正しょう、改憲をしようという勢力の政治的方角は、福祉の縮小であり、対外的な戦争の容認です。彼らはそういう方角に目標を切り替えようとしていると思います。我々は日常生活であらゆる手段をとって、それに対して反対する。教育について、年金について、何についても反対すべき政策が非常に多いけれど、それらは相互に関連しています。その相互に関連したもの全体に反対することがたいせつで、つまるところそれこそが憲法を守るだけでなく積極的に生かしてゆくことではないでしょうか。
 これから先、大変だと思います。でもどうか皆さん、一緒にできるだけのことをしましょう。一緒にできる
[PR]

by 9jo-nara | 2008-01-30 07:23 | 全国の経験から