> 最新のコメント
> 以前の記事
2012年 05月
2012年 04月 2012年 02月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 05月 2010年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 |
> カテゴリ:全国の経験から
全国交流集会実施要項
一、日時 2011年11月19日(土) 午前10時30分~午後4時30分 二、会場 日本教育会館(東京都 千代田区一ツ橋2-6-2) 三、主催 「九条の会」全国交流集会運営委員会 四、主な時間の流れ(予定) 9:45 受付開始 10:30 全体会(ホール) 開会あいさつ/よびかけ人の発言/地域・分野の「会」からの報告(大震災、原発震災の被災地から、住民過半数署名の経験、宗教者のネットワークの経験など) 12:30 昼食・休憩 13:30 特別分散会(ホールにて開催)、分散会・分科会(会議室を使用) 16:00 特別分散会・分散会・分科会終了 16:15 全体会(ホール) ①北海道と九州ブロックの参加者は、12:30~の昼食時に交流できる場を設定します。 ②分科会は「女性の会」を設けます。 <開催趣旨> 分科会「女性の会」では、各地域の分野別「九条の会」としての女性「九条の会」の活動の交流を行います。女性「九条の会」がまだ結成されていない地域、これから結成しようとしている地域の方々も、ふるってご参加ください。 ③ホールで開催する特別分散会は、「各地の経験をじっくり聞く会」として、震災被災地、基地問題、原発事故被災についてなど8名程度の発言者の話・若干の質疑。 ④ホール以外の分散会と分科会での発言はあらかじめ準備して、5分以内に(厳守・ただし発言希望数によって変動あり) ⑤発言は、下記の2点をメインテーマに、それぞれの会の取り組みを踏まえた具体的な発言に。 イ.今日の情勢の下での九条の会の意義や活動の方向性について。 ロ.九条の会の活動を地域、次世代にいかに広げていくか。 ⑥16:15~の全体会は、各分散会報告は行わず、まとめの報告のみ。 五、参加申し込み ①参加者は、いずれかの「会」に所属していて、所属する「会」で相談のうえ、参加すること。 ②参加希望者は、事務局が準備した所定の参加申込書(1人1枚)および別にアンケートを提出(郵送・ファクス・メール)し、参加証の交付を受ける。 ③集会の参加者全員に配布を希望する資料は、A4判1枚(両面印刷可)、またはA3判1枚を必ず2つ折りしたもの(両面印刷可)を1000部印刷して11月12日までに事務局に届ける(必着)。規格に合わない場合は配布できない場合がありますのでご注意下さい。 ④運営経費として、参加費1000円(学生は300円)を当日受付で。 六、その他 物品販売、展示は、「会」作成のものに限り、希望者はあらかじめ事務局に届け出て当日持参を。販売は、交流集会参加者自らが行う。 ※不明の点は事務局に問合せしてください。 「真宗大谷派九条の会」設立集会が九日、京都市の本山(東本願寺)で開かれました。哲学者鶴見俊輔氏が記念講演しました。
教団は一九九五年、国の衆参両院にあたる宗議会・参議会が、侵略戦争に協力した歴史を懺悔(さんげ)する「不戦決議」を採択、〇五年には宗議会が「日本国憲法『改正』反対」を決議しています。 「不戦決議」は「宗門が犯した罪責(戦争協力)を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意し」「(平和のため)すべての人々と歩みをともにする」としており、「この決議をステップにして、いよいよ腹を据えて本願念仏に生きる証を表現していく責務がある」(呼びかけ文)として「九条の会」を設立したもの。池田勇諦(元同朋大学長)、広瀬杲(元大谷大学長)、児玉曉洋(元教学研究所長)、宮城顗(同)の四氏が呼びかけ人になり、準備をすすめてきました。 集会には約三百人が出席。「『会』設立は、真宗と出会った人間としてという一点からの所作」(池田氏)、「九条が不戦でも非戦でもなく戦争放棄であることの意味をかみしめたい」(広瀬氏)と、「会」設立への思いを語りました。 浄土真宗本願寺派(西本願寺)関係者でつくる「念仏者九条の会」の信楽峻麿氏(元龍谷大学長)が連帯のあいさつをしました。 「九条の会」には私もはじめから関係したのですが、会の名前は大勢の人に訴えるスローガンですから、なるべく簡単で明瞭なほうがいいわけですね。しかし、明瞭だということと、簡単な方がいいということとは、うまくおり合うとはかぎりません。現に「九条の会」と言っても、九条をどうするかということは全然言ってないわけですから、九条を改めたいという人も「九条の会」をつくるかもしれない(笑)。私たちは「九条の会」と言えば、天下の常識として、日本国の現在の常識として、守る方に解釈するのが当然だろうという立場です。
しかし、振り返ってみると、「九条の会」の集りで、改憲の人は含んでいないのですが、私たち自身が九条を「守る」と言うことも、九条を「生かす」と言うこともありました。その二つはちょっと違う。例えば、九条を守るというのは改憲に対する反対です。その定義ははっきりしています。明文を変えるーどういうふうに変えるのであっても、変えることに反対であるというのが、九条を守るということ、九条の条文を守るということですね。 九条を生かすの方は、もう少し複雑です。条文は今のまま、できたときから今まで続いていますが、その解釈はだんだんに変わってきたわけで、それがいわゆる解釈改憲です。解釈次第で同じ条文の意味・内容は変り得るということを前提としている。変形は一定方向のこともあり、行きつ戻りつして方向の定まらぬこともある。戟復改憲をめざしてきた自民党の政府は、九条に関するかぎり、一定方向(政治的「右」寄り、軍事力増強)の解釈改憲を積み重ねてきました。すなわち憲法の精神の否定です。憲法の精神を「生かす」というのは、その反対で、平和憲法の精神を延長するというか、強めるというか、いわゆる「解釈改憲」の内容の正反対の方向で積極的です。 例えば、現在の石油問題、インド洋でアフガニスタンに向けて作戦している外国の軍艦に自衛隊がタグで石油を供給しています。これには、二つの解釈があるわけで、一つは、憲法に抵触する、違憲であるという考え方と、解釈次第であれは一種の合法性 をもっているのだという主張と、大きく見て二つです。 合法性の主張の内容は、大雑把にいえば、憲法に抵触しないというより憲法を超えるといいましょうか、憲法以上に大事な人間の法とか、国際的秩序の維持とか、超大国からの圧力とか、そういうことがあって、そのためには日本国憲法にあまりこだわらないで、憲法を超えても特別な行動をとらなくてはならない場合があるという理屈です。「テロを退治するための戦争」なんていうのが、その特別な行動ということなのですね。ですから、テロを退治する戦争は、国連に加盟している国の憲法に抵触しても、憲法以上に強力なものであるという主張です。そういう意味で自衛隊の参戦(後方支援)も合法的になるという考え方です。憲法以上の一種の法的秩序を代表しているのが集団的自衛権で、石油を供給 するのもそれに属すると、そういう解釈ですね。 そうなると、果たして、アフガニスタンやイラクを目標としてインド洋で行動している各国の軍の活動が、憲法以上の高い目標、つまりテロ退治という目標を追求しているのかどうかという問題が出てくるわけです。アフガニスタンの次はイラク。イラクでの米国の軍事的な行動が、日本国憲法を超えるような高い理想を追求しているものなのかどうかということが問題になります。それには二つの意見がある。解釈次第ではそれは一種の合法性をもっているという考え方になるわけでしょう。 憲法を「守る」だけじゃなくて、その精神を「生かそう」とすると、二つの分かれ道になって、一つは、超憲法的社会秩序もしくは国際秩序に奉仕するように行動するか、もう一つは、超憲法的国際秩序が問題になっているのではなくて、ある強大な一国の意思が中心になって、テロ退治にはなっていない武力の行使がなされた -― 何のために武力が行使されているのか極めて複雑な状況をそのまま認めるか、その二つに分かれるわけですね。 そこで我々の「九条の会」は、九条を「守ろう」と言っているのか、あるいは一歩前に出て「生かそう」と言っているのか。生かそうという言葉は時々使われましたけど、中心は守ろうでした。なぜならば、「九条の会」が出発したのは、我々の方から始めたというよりも、政府が、ことに小泉内閣や安倍内閣が、議会の多数派を使いながら、憲法の明文を変えようとする、改憲をしようとする運動を急速に、爆発的に押し出してきたからです。それを黙って見ているのか、反対するのかという状況になった。改憲が強引に、それに対する反対意見も、批判意見も無視してごり押しされつつあったから、それに対する抵抗として「九条の会」をつくつたわけなんですね。だから、「九条の会」は当然守るということになる。 しかし、だから九条を守れば、自動的に憲法を生かすことになるとは限らない。その具体的例が、インド洋の給油でしょう。日本国憲法は今生きている、しかし、それを超えて軍事行動をして、その軍事的な行動が合法的だという理屈は、さっき申し上げた理屈です。 しかも、安倍内閣から福田内閣に代わって、政府の言説はもう少し手の込んだ理屈になり、行動様式も非常に慎重になるでしょう。現に状況の判断がより現実的に細かくなってきている。二つの内閣には、そういう変化があるんですね。福田内閣の方が、はるかに洗練されていて、比べものにならないほど手ごわい相手だと思います。明日改憲しようというのではなくて、もう少し様子を見ようというふうに変わってきた。 ですから、私たちの運動も、「九条の会」にとっては九条を守ることがもちろん第一義的だけれど、同時にそれだけではなくて、「生かす」ことが念頭にくる必要があると思います。権力側で改憲を望む人は、いきなり改憲ではなくて、むしろ解釈改憲の伝統をそれこそ生かしながら、だんだんに九条の内容を空虚にして、事実上ないのと同じようなところに追い込んでいくという手をとるでしょう。おそらくそうなると時間もかかるから、もちろん今年の内にとか、一年の内にとかいう話ではなくて、何年かかけて次第にそういうふうにもっていくのではないか。おそらくこれからは長丁場になるでしょう。それに抵抗するには、やはり九条を守るというだけではなくて、九条を生かす必要があるのだということを強調する必要が出てくるのではないかと思います。 そうすると、どうすれば九条を生かせるかという問題になるのですが、条文を守るということよりはかなり面倒なことになるでしょう。相手側の解釈改憲の理屈を破らなければならない。それはちょっと手の込んだ仕事になるけれども、それを我々はやらな ければならないと思います。 憲法を改正するのは戦争のためで、いきなり戦争できるようにこの国をするためです。しかもそれはこれから先、何年間にもわたってです。改憲がゆっくりくるようになると長丁場にならざるを得ないわけで、これからは問題が複雑になると同時にゆっくり進むようになるでしょう。劇的な花火を打ち上げるという形ではなくて、日常的に地道に抵抗を続けていくよりしようがないと思います。少なくとも、その面を含まなければならないと思う。 だから、二つあると思います。 第一は、おそらく長丁場であるということを意識して運動をやるということ。今年だけ運動が活発なのでは駄目で、長く活発にやる。拡大した組織は、ゆっくり大きくなる。劇的に大きくならないけれど、ゆっくり確実に大きくなるのだということをはっきり意識しなくてはならない。これは大きな仕事だと思います。しかし、意識的にそういう方向に動くべきではないかと、私は思います。 それから第二は、あまり抽象的なことばかりではなくて、すべての問題を日常性に結びつけなければいけないということですね。憲法を改正しょう、改憲をしようという勢力の政治的方角は、福祉の縮小であり、対外的な戦争の容認です。彼らはそういう方角に目標を切り替えようとしていると思います。我々は日常生活であらゆる手段をとって、それに対して反対する。教育について、年金について、何についても反対すべき政策が非常に多いけれど、それらは相互に関連しています。その相互に関連したもの全体に反対することがたいせつで、つまるところそれこそが憲法を守るだけでなく積極的に生かしてゆくことではないでしょうか。 これから先、大変だと思います。でもどうか皆さん、一緒にできるだけのことをしましょう。一緒にできる 皆さん、こんにちは、奥平康弘です。
事務局長の小森さんのお話にありましたように、「九条の会」の本質は九条を守り生かすことにありますが、憲法改正問題というのはやはり揺れ動く政治状況の中にあるものですから、自ずからこの度の政権交代のような突発事故に出会うのは不可避です。ほとんど誰も予想することができないような形で、また、その結末をどうつけるかということも分からないまま、若干の不確定要素を抱えて、私たちの憲法改正反対運動に影響を与えることになります。 これをどう生かしていくかということは、これが憲法改正問題にどう関わるかということ、その関わり方いかんによっては、今後どうしたらいいのかという心構えにも関係してくると思います。この度の政治変動は、主として日本の政治支配層の側の事情に起因するもののようですが、しかし、「支配層の側の事情がどうあろうと、こちら方は」という問題の立て方もありうるわけだし、それからまた、「今度の政治変動は、憲法改正という保守体制の年来の大方針に、日程上の変更をもたらすことはありうるとしても、大局の変化は生じることはなかろう」という捉え方もありうる。不確定要素というものがあるにしても、わが道を行くと言いましょうか、従来から考えている路線を、我々の論理で、我々の力で、確信をもって前へ進めていくということ、つまり憲法改正というとんでもない暴挙をたたきつぶすことに全力投球するほかあるまい、と思います。 このところの政治変動の一環として、いわゆる大連合の企てみたいなものがなぜか生じました。しかし、それは当初から予測されていたように壊れてしまった。では一体、大連合の代わりに新しい政治環境として、どんな政治的再編成が企てられ、どのように再編成されることになるのでしょうか。多分その行き方いかんによっては、国民投票法が予定している改憲手続きの方向への動きにも、多少担い手の構成に若干新しい工夫をこらしながら出てくるかもしれません。つまり、自民党的なるものを中心にして考えてきたところへ、今までは要素としては考量の外に置かれていた(しかし、けっして無視されてきたわけではない)小沢一郎的なるものが加わって、改正問題にいわば色彩による若干の違い、あるいは運動の加速の仕方の若干の違いというのが出てくるかもしれません。こうした政治分析・政治予測は、僕の専門ではございませんけれど、そういう問題をどう考えるべきかということに思いをめぐらす必要があるのかもしれません。しかしながら、改憲反対の一点にしぼって政治勢力の結集をおこないつつある我々が、あちら側の右往左往振りにかまけている必要はありません。 あるいはそうすることは正しくないのだ、と思います。向こうの改憲運動の日程や手順に多少遅れや緩みがでてくるにしても、「出る釘は打つ」という我々の政治目標に変化はないはずです。ゆるぎなく、我々は原理原則に徹して闘いを続け、カの結集に努めるのみです。 明確に考えていたわけじゃないけれども、ある一つのレッテルとして、ああそうだ、やっぱりそうだよ、こういうふうに捉えればいいんだという手掛りの一つは、新聞に載っていた小さなコメントです。外から見れば日本の政情というのはよく見えるわけで、ことの本質とは言いませんが、一つのキャラクター、ある性格というのをうかがわせるということはできる、そういうコメントの一つがある新聞に載っていました。コロンビア大学の政治学の教授でジエラルド・カーティスという人が書いた論文です。それには、小沢一郎というのは戦略家ではなくて、戦術家だと規定し、そうした規定付けによって、小沢氏の動きについてある種の分析をしています。 このばあい、戦略とは、全局的な見地からある種の原理原則にもとづいて広範な作戦計画を立て、個別の闘いをたばねて運用すること、と定義することができると思います。小沢氏は、そういう大局的な見地から物を考えるタイプの政治家ではない、とカーティス教授は考えるわけです。カーティス教授によれば、小沢氏は単に目先のことにだけ心が動き、小さな限定された目的達成のため、一生懸命になる策略家でしかないということになります。お手元の英和辞典を引いてみていただくと分かりますが、ストラテジーとタクティクスとの違いですよね。タクティシャン策略家というと、テクニシャンと言うか、タクティクスにたけるもの、つまり策略にたけるもの。 ですから、策略にたけるやつのその策略がどこから出てどうなるかということは、僕らはあれこれと憶測する必要はないというか、それを憶測することにあまりエネルギーを費やす必要はないということ、そういうことを理解し、僕ら自身が割り切っていくべきだ。あれは策略である。策略にすぎない。策略が策略として意味があるのは、例えば総選挙という状況になった時で、そのときには、さあどうするかという問題が出てくるかもしれないけれど。憲法改正問題というのは、策略でもって動こうとしている力をどうやって原理的なるもので、あるいはもっと大きな歴史の中で捕まえていって、それを機に政治力を結集して戟うかという問題だと考えると、あまりちまちまと、ちまちました状況に捉われるべきではない。捉われてはならないのだ、という考えを僕はもつに至りました。僕は本当に政治問題の専門家ではございません。そのように受け止めて、我々も一応、我々の従来どおりの原理原則を立てて、進めていけばいいのだということだろうと思っているわけです。従来どおりというのは、何も反省するなという意味ではまったくなくて、従来どおりのことをどう思うかという議論を、皆さんでしていただき、それを確認したり、修正したりしながら展開するということと思っております。 僕は立ち上げのメンバーの一人であったため、「九条の会」に関わらせていただいて、皆さんの声をお聞きして、そこで一種のコミュニケーションが生ずるなり、感じるなり、今まで考えてみなかったことがいろいろある中で、実を言うと、僕が学んだことはものすごく沢山ありまして、「九条の会」から何を学んだかということでお話したいというほど、大きいテーマではあるのです。地域の皆さんと接触する過程で気がついたことで、一つだけ言及させていただくと、「九条の会」の皆さんとある種の行動を一緒にする中で、僕は憲法研究者、とくに九〇年代以前の憲法研究者というのは、ある意味で憲法の解釈が固まっていたと気づきました。憲法の九条第二項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」といっている。自衛隊、つまり一九五四年にできあがった自衛隊法というのは、これは憲法違反ではないかー従来、憲法違反といえば一本調子に、とは言いませんけれど、そういうものとして展開してきました。いまでも僕はそう思っているけれども、しかし、それだけでは、いま九条を、特に九条の二項を改正しようとする動きには対抗し得ないらしい。憲法九条第二項を守ろうとする人たちは、ただ単に自衛隊反対という一つの解釈に基づいている人たちだけではなくて、どちらかというともっと別々に、いろんな根拠をもっている人たちがいる。今年に入ってから九条の改正に反対だ、やっぱり九条は守るべきだろうという意見ががぜんいろいろな、何と言いましょう、バラエティをつけながら出てきていて、新現象だなと僕は思っていました。 いままであまり憲法問題や、あるいは憲法改正問題について語らなかった人びとの中から、新たに、憲法九条改正反対だという声がいろいろなニーズをもって出始めてきて、これは新しい現象として見るべきだぞと思っていたわけですが、先ほど小森さんのちょつと言われたことにも関係するのですけども、「私は憲法改正した方がいいと思うけれども、あの安倍総理だったら嫌だよ」という声が出てきて、これって何だと興味をもったわけです。すごいペースで、そして、憲法九条問題だけではなくて、稔ざらいで何もかも大急ぎでやろうとピッチを上げる。上げてきたつもりが、実は蹟きの石みたいなものを作るという結果となってしまって、「それはおかしいよ」、「こんなペースでやるべきじやないよ」、「あの人の下での憲法改正は絶対反対だ」、「私嫌だ」という声となり、その挙句のわけですよね。 ですから、いま新しい現状が展開しつつあることを考えてみれば、もう一押ししたら向こうが壊れてしまうというほど生易しい状況ではないけども、憲法改正は反対だという声の根拠はさまざまにあり、そのいろんな根拠を僕たちはアピールして、「ねえ、憲法九条改正反対だよね」、「憲法改正することは良いことじやないよね」という声を糾合していく、そういう運動のありようが、「九条の会」の運動のありようの一つであろうと、僕は思うのです。 僕はそれをオーバーラッピング・コンセンサスと呼ぼうと思う。オーバーラップと言いますね、重なり合う。この呼びやすい言葉でオーバーラッピング・コンセンサス、つまり、憲法改正には反対だという一点では、あるいはそうした結論ではオーバーラップしている、多くの人たちはその結論に至る筋道、いわば論理というのは異なっていても、結論はオーバーラップしている。憲法九条問題を政治問題として向こう方が蹴ってきた時、蹴り返すこと自身が政治的にぜひ必要である。こっち方が蹴りなおす、蹴る、蹴って返す、そうでなければ政治的に成功したことにならない。そうであれば、政治問題として向こう方が蹴ってきたなら、いろいろ理由は異なるにしても、これは断固として一点において糾合する。糾合して、現実の力関係の中にそれを反映させるというのが「九条の会」の一つの重要な使命なんだろうということを、九条の解釈にだけ凝り固まっていた奥平康弘は、「九条の会」に参加することによって気づき、九条の解釈だけでは改正反対の動きにはならんのだということを教訓として学んだわけです。 とりあえず一番最初のお話で、わけのわからない話になってしまいましたが、終わります。 第二回全国交流集会でのあいさつー「報告集より」 文責 Y 「九条の会」交流集会
「守る」「生かす」運動さらに 各界の著名な九氏の呼びかけで始まった「九条の会」の第二回全国交流集会が開かれました。全都道府県から五百五十の「会」代表ら千人を超える老若男女がつめかけ、活動を交流しました。 第一回全国交流集会が開かれたのは昨年六月でした。当時五千百七十四だった「九条の会」の総数は、それから一年五カ月の間に千六百二十七増の六千八百一に広がりました。呼びかけ人のあいさつや各地の報告には、憲法を生かす多彩な日常活動と改憲に打ち勝つ「息の長い運動が大事」との決意があふれました。 青年も自主性発揮して 今回の交流集会では全体会と分散会(十一)に加えて、新たに青年分科会が設けられました。ここでは「どうせやるなら明るく、楽しく、かっこよく」と活動する青年たち。「七夕宣伝で折り鶴を折ってもらったら二百五十六羽にもなった」(東京・杉並)、「新聞への意見広告を出し、沖縄平和ツアーに毎年行っている」(北海道・室蘭工大)、「コンサートの参加者が千人を超えた」(神奈川・横須賀)など、自主性と創意性を大事にする青年の努力が見られました。 草の根で発展する「会」の活動の共通点も浮き彫りになりました。さまざまな課題があるなかで、保守や革新、思想信条、所属する組織の違いを超えて「憲法九条を守る」ことでの団結を大事にし、それを貫いていることです。 「選挙で自民党の応援の先頭に立っている人も参加し、がんばっている」、「議員の過半数、四十一人中二十三人で“議員九条の会”をつくった」などの報告には驚きの声があがりました。「町内の全戸を訪問して寄せられた募金で『憲法九条の碑』を建てた」(沖縄・南風原)などの報告も注目を集めました。「九条おじさん」と呼ばれる東京の蓑輪喜作さん(78)が、「署名は八千五百十人になった」と語ると会場からどよめきがおきました。 今回の全国交流集会は、参院選後突然政権を投げ出した安倍晋三前首相に代わり、福田康夫首相が政権を受け継いだもとで開かれました。交流集会の参加者が、ロビーに展示された「九条グッズ」やパンフレットなどを手に、「国民の力、世論で政治が動くんだ」と語り合っていたのは実感でしょう。 呼びかけ人の一人、評論家の加藤周一さんは「福田内閣はより手ごわい相手」とのべ「『九条の会』は九条を守ることが中心ですが、これからは『九条を生かす』ことも念頭に置く必要がある」と語りました。 改憲をむきだしですすめようとした安倍内閣に比べ、解釈改憲で憲法を空虚なものにしようという動きを含め、攻撃がいっそう巧妙になるなか、加藤さんは、長丁場の運動を意識し、日常性に結びつけていくことが大切だと指摘しました。 創意こらし圧倒的世論を 全国交流集会の「訴え」は、(1)「九条の会」アピールへの賛同を広げ、九条改憲反対、九条生かそうの圧倒的世論をつくる(2)職場・地域・学園で九条のすぐれた内容と、改憲案の危険な内容についての理解を深める大小無数の集会を開く(3)当面、「すべての小学校区に九条の会」を合言葉に、文字どおり思想・信条・社会的立場の違いを超えた「会」、地域・分野のネットワークをつくり、交流・協力する—などです。 地道で創意・工夫に満ちた各地の「九条の会」の活動がさらに広がることが期待されています。 『しんぶん赤旗』主張 2007年11月27日
アピールに賛同拡大富山市水橋地域
富山県富山市水橋地域(旧水橋町)。この地域に昨年六月に誕生した「水橋・九条の会」は結成一周年の六月に、二百八十人の連名で「九条の会アピール」支持を表明するビラを発行し、話題となっています。「九条の会」の全国交流集会(二十四日)を前に、現地を訪ねました。(中祖寅一) 水橋地域は約五千五百世帯、一万六千人が暮らします。晴れた日にはすでに真っ白に雪化粧した立山連峰が一望できる、市の東端にあります。現在は、富山市の中心部に通勤するサラリーマンの新興住宅地として変貌(へんぼう)を遂げつつあります。大正の「米騒動」発祥の地としても知られます。 浄土真宗本願寺派の住職(54)は語ります。 「戦争になれば宗教は弾圧される。戦争に向かっていく中で宗教は利用される。この間違いを絶対に繰り返してはなりません。宗教家は今、声を上げていかねばなりません」 住職は、一九八五年の中曽根元首相の靖国神社公式参拝のころから戦争と宗教弾圧への「心配」が強くなったといいます。 「九条が改悪され戦争推進ということになれば、主権在民の解釈も全部変わってくる恐れがあります。政治の場での『数の論理』に負けないように、みんなが思っていても声に出せない思いを出し合える場が必要です」 「会」事務局次長の大橋国昭さん(66)は「九条の会」にかける住職の思いを聞き、「これほど深い信念を持って参加していたのだと改めて知り、感銘しました」と語ります。 住職は「今度の自民党と民主党の大連立という話の根っこにも『憲法改正』があります。小沢さん(民主党代表)の言う『普通の国』とは、軍隊を正式に認めろというものです」といいます。 「水橋・九条の会」が取り組んだ「アピール」支持のビラ発行には、宗教者の賛同が大きな力になり、地域の七割を超すお寺が協力しました。 平和憲法なくしてどうする! 昨年秋に「会」で行った京都への旅行。あらかじめ連絡して訪問した金閣寺と東本願寺で、「私たちも平和でがんばっています」と僧侶に出迎えられ、和やかにコースを案内してもらいました。 今年春ごろから、「会」は「私も九条改憲に反対です」と、地域の人々に名前を出してもらう活動に取り組むことになりました。「真宗王国」といわれ、住民とお寺との結びつきの強い土地柄。「お寺の賛同を力にしてはどうか」という声が自然に出てきました。 連名ビラ 同会事務局のメンバーは地域に二十四ある寺院すべてを回り、十四カ寺の住職が賛同を表明。他にも二つのお寺の住職が「寺の名前は出せないが個人として賛同する」とし、肩書きなしで名前を出すことに同意しました。一つのお寺の住職は「名前は出せないが趣旨には賛同する」とカンパ。実質的に七割を超すお寺が協力を表明しました。 「会」では、十四カ寺の住職の連名で「宗教者はあらゆる殺生を認めません。九条改定は、海外でアメリカと戦争することが目的です。平和を願っているみなさん、九条をしっかり守りましょう」と呼びかけるビラを作成しました。「うちのお寺も出ている」「それなら」と、次々と地域の人々が自分の名前を出すことに同意。目標を上回る二百八十人の連名ビラができました。 同会事務局長の岡田美乃利さん(62)は「『やっぱり名前を引っ込める』と言い出す人も出るかと思っていたら、逆に『私も反対なのにどうして出してくれないのか』と言う人が出てきた。『次の分で名前を出すから』と話しています」と笑顔を見せます。 表情一転 「せっかくの平和憲法をなくしてどうするか!この一語に尽きる」 好々爺(こうこうや)の表情が一転しました。「会」の呼びかけ人の一人、旧水橋町の元助役、林清忠さん(90)です。町議や自民党地元支部の幹事長を歴任するなど、長く地域の保守派の中心の一人でした。 「戦争ちゃね、お互い殺(や)らねば殺られる、殺し合いだっちゃ。二度とするもんじゃない」 戦中は衛生兵として旧「中支」で野戦病院に勤務。一九四二年(昭和十七年)、三年一カ月の従軍の後、帰国しました。 「いよいよ戦闘が始まろうとする町から民間人を避難させるのだが、ペストに感染した中国人がいた。軍は外に出すわけにはいかないと、三百人の感染者のいる建物に油をかけて火をつけた。声を上げる間もなくあっというまに焼けた。ひどいものだった」 弟は二十歳の若さでフィリピン沖で戦死しました。 「小泉首相のころから憲法改悪の動きが出てきて、それで三年前に自民党を脱退した。今じゃ無党派だ。イラク戦争もアメリカの思惑で勝手にはじめた戦争だろう。それに日本が憲法を変えて参加するなんて許してはならないことだ」 昨年六月の「会」結成から約一年半。呼びかけ人会議では毎回情勢や憲法の学習をし、月一回ニュースを発行してきました。「会」の趣旨に賛同を表明する地域の医療生協の人々の協力も得て、ニュースは地域の半数以上の世帯に配布。「会」結成二周年に向け、さらに九条の会のアピールに対する地域の賛同者を増やし、倍加しようと意気込んでいます。 2007年11月19日(月)「しんぶん赤旗」 < 前のページ次のページ >
|