「九条の会」奈良

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「守る」ことと「生かす」ことー             評論家 加藤 周一

 「九条の会」には私もはじめから関係したのですが、会の名前は大勢の人に訴えるスローガンですから、なるべく簡単で明瞭なほうがいいわけですね。しかし、明瞭だということと、簡単な方がいいということとは、うまくおり合うとはかぎりません。現に「九条の会」と言っても、九条をどうするかということは全然言ってないわけですから、九条を改めたいという人も「九条の会」をつくるかもしれない(笑)。私たちは「九条の会」と言えば、天下の常識として、日本国の現在の常識として、守る方に解釈するのが当然だろうという立場です。

 しかし、振り返ってみると、「九条の会」の集りで、改憲の人は含んでいないのですが、私たち自身が九条を「守る」と言うことも、九条を「生かす」と言うこともありました。その二つはちょっと違う。例えば、九条を守るというのは改憲に対する反対です。その定義ははっきりしています。明文を変えるーどういうふうに変えるのであっても、変えることに反対であるというのが、九条を守るということ、九条の条文を守るということですね。

 九条を生かすの方は、もう少し複雑です。条文は今のまま、できたときから今まで続いていますが、その解釈はだんだんに変わってきたわけで、それがいわゆる解釈改憲です。解釈次第で同じ条文の意味・内容は変り得るということを前提としている。変形は一定方向のこともあり、行きつ戻りつして方向の定まらぬこともある。戟復改憲をめざしてきた自民党の政府は、九条に関するかぎり、一定方向(政治的「右」寄り、軍事力増強)の解釈改憲を積み重ねてきました。すなわち憲法の精神の否定です。憲法の精神を「生かす」というのは、その反対で、平和憲法の精神を延長するというか、強めるというか、いわゆる「解釈改憲」の内容の正反対の方向で積極的です。

 例えば、現在の石油問題、インド洋でアフガニスタンに向けて作戦している外国の軍艦に自衛隊がタグで石油を供給しています。これには、二つの解釈があるわけで、一つは、憲法に抵触する、違憲であるという考え方と、解釈次第であれは一種の合法性
をもっているのだという主張と、大きく見て二つです。

 合法性の主張の内容は、大雑把にいえば、憲法に抵触しないというより憲法を超えるといいましょうか、憲法以上に大事な人間の法とか、国際的秩序の維持とか、超大国からの圧力とか、そういうことがあって、そのためには日本国憲法にあまりこだわらないで、憲法を超えても特別な行動をとらなくてはならない場合があるという理屈です。「テロを退治するための戦争」なんていうのが、その特別な行動ということなのですね。ですから、テロを退治する戦争は、国連に加盟している国の憲法に抵触しても、憲法以上に強力なものであるという主張です。そういう意味で自衛隊の参戦(後方支援)も合法的になるという考え方です。憲法以上の一種の法的秩序を代表しているのが集団的自衛権で、石油を供給
するのもそれに属すると、そういう解釈ですね。

そうなると、果たして、アフガニスタンやイラクを目標としてインド洋で行動している各国の軍の活動が、憲法以上の高い目標、つまりテロ退治という目標を追求しているのかどうかという問題が出てくるわけです。アフガニスタンの次はイラク。イラクでの米国の軍事的な行動が、日本国憲法を超えるような高い理想を追求しているものなのかどうかということが問題になります。それには二つの意見がある。解釈次第ではそれは一種の合法性をもっているという考え方になるわけでしょう。
 憲法を「守る」だけじゃなくて、その精神を「生かそう」とすると、二つの分かれ道になって、一つは、超憲法的社会秩序もしくは国際秩序に奉仕するように行動するか、もう一つは、超憲法的国際秩序が問題になっているのではなくて、ある強大な一国の意思が中心になって、テロ退治にはなっていない武力の行使がなされた -― 何のために武力が行使されているのか極めて複雑な状況をそのまま認めるか、その二つに分かれるわけですね。

 そこで我々の「九条の会」は、九条を「守ろう」と言っているのか、あるいは一歩前に出て「生かそう」と言っているのか。生かそうという言葉は時々使われましたけど、中心は守ろうでした。なぜならば、「九条の会」が出発したのは、我々の方から始めたというよりも、政府が、ことに小泉内閣や安倍内閣が、議会の多数派を使いながら、憲法の明文を変えようとする、改憲をしようとする運動を急速に、爆発的に押し出してきたからです。それを黙って見ているのか、反対するのかという状況になった。改憲が強引に、それに対する反対意見も、批判意見も無視してごり押しされつつあったから、それに対する抵抗として「九条の会」をつくつたわけなんですね。だから、「九条の会」は当然守るということになる。

 しかし、だから九条を守れば、自動的に憲法を生かすことになるとは限らない。その具体的例が、インド洋の給油でしょう。日本国憲法は今生きている、しかし、それを超えて軍事行動をして、その軍事的な行動が合法的だという理屈は、さっき申し上げた理屈です。
 しかも、安倍内閣から福田内閣に代わって、政府の言説はもう少し手の込んだ理屈になり、行動様式も非常に慎重になるでしょう。現に状況の判断がより現実的に細かくなってきている。二つの内閣には、そういう変化があるんですね。福田内閣の方が、はるかに洗練されていて、比べものにならないほど手ごわい相手だと思います。明日改憲しようというのではなくて、もう少し様子を見ようというふうに変わってきた。

 ですから、私たちの運動も、「九条の会」にとっては九条を守ることがもちろん第一義的だけれど、同時にそれだけではなくて、「生かす」ことが念頭にくる必要があると思います。権力側で改憲を望む人は、いきなり改憲ではなくて、むしろ解釈改憲の伝統をそれこそ生かしながら、だんだんに九条の内容を空虚にして、事実上ないのと同じようなところに追い込んでいくという手をとるでしょう。おそらくそうなると時間もかかるから、もちろん今年の内にとか、一年の内にとかいう話ではなくて、何年かかけて次第にそういうふうにもっていくのではないか。おそらくこれからは長丁場になるでしょう。それに抵抗するには、やはり九条を守るというだけではなくて、九条を生かす必要があるのだということを強調する必要が出てくるのではないかと思います。

 そうすると、どうすれば九条を生かせるかという問題になるのですが、条文を守るということよりはかなり面倒なことになるでしょう。相手側の解釈改憲の理屈を破らなければならない。それはちょっと手の込んだ仕事になるけれども、それを我々はやらな
ければならないと思います。

 憲法を改正するのは戦争のためで、いきなり戦争できるようにこの国をするためです。しかもそれはこれから先、何年間にもわたってです。改憲がゆっくりくるようになると長丁場にならざるを得ないわけで、これからは問題が複雑になると同時にゆっくり進むようになるでしょう。劇的な花火を打ち上げるという形ではなくて、日常的に地道に抵抗を続けていくよりしようがないと思います。少なくとも、その面を含まなければならないと思う。

 だから、二つあると思います。

 第一は、おそらく長丁場であるということを意識して運動をやるということ。今年だけ運動が活発なのでは駄目で、長く活発にやる。拡大した組織は、ゆっくり大きくなる。劇的に大きくならないけれど、ゆっくり確実に大きくなるのだということをはっきり意識しなくてはならない。これは大きな仕事だと思います。しかし、意識的にそういう方向に動くべきではないかと、私は思います。

 それから第二は、あまり抽象的なことばかりではなくて、すべての問題を日常性に結びつけなければいけないということですね。憲法を改正しょう、改憲をしようという勢力の政治的方角は、福祉の縮小であり、対外的な戦争の容認です。彼らはそういう方角に目標を切り替えようとしていると思います。我々は日常生活であらゆる手段をとって、それに対して反対する。教育について、年金について、何についても反対すべき政策が非常に多いけれど、それらは相互に関連しています。その相互に関連したもの全体に反対することがたいせつで、つまるところそれこそが憲法を守るだけでなく積極的に生かしてゆくことではないでしょうか。
 これから先、大変だと思います。でもどうか皆さん、一緒にできるだけのことをしましょう。一緒にできる
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by 9jo-nara | 2008-01-30 07:23 | 全国の経験から

反対の声を汲み上げ、重ね合わせようー憲法研究者 奥平 康弘

 皆さん、こんにちは、奥平康弘です。
 事務局長の小森さんのお話にありましたように、「九条の会」の本質は九条を守り生かすことにありますが、憲法改正問題というのはやはり揺れ動く政治状況の中にあるものですから、自ずからこの度の政権交代のような突発事故に出会うのは不可避です。ほとんど誰も予想することができないような形で、また、その結末をどうつけるかということも分からないまま、若干の不確定要素を抱えて、私たちの憲法改正反対運動に影響を与えることになります。

 これをどう生かしていくかということは、これが憲法改正問題にどう関わるかということ、その関わり方いかんによっては、今後どうしたらいいのかという心構えにも関係してくると思います。この度の政治変動は、主として日本の政治支配層の側の事情に起因するもののようですが、しかし、「支配層の側の事情がどうあろうと、こちら方は」という問題の立て方もありうるわけだし、それからまた、「今度の政治変動は、憲法改正という保守体制の年来の大方針に、日程上の変更をもたらすことはありうるとしても、大局の変化は生じることはなかろう」という捉え方もありうる。不確定要素というものがあるにしても、わが道を行くと言いましょうか、従来から考えている路線を、我々の論理で、我々の力で、確信をもって前へ進めていくということ、つまり憲法改正というとんでもない暴挙をたたきつぶすことに全力投球するほかあるまい、と思います。

 このところの政治変動の一環として、いわゆる大連合の企てみたいなものがなぜか生じました。しかし、それは当初から予測されていたように壊れてしまった。では一体、大連合の代わりに新しい政治環境として、どんな政治的再編成が企てられ、どのように再編成されることになるのでしょうか。多分その行き方いかんによっては、国民投票法が予定している改憲手続きの方向への動きにも、多少担い手の構成に若干新しい工夫をこらしながら出てくるかもしれません。つまり、自民党的なるものを中心にして考えてきたところへ、今までは要素としては考量の外に置かれていた(しかし、けっして無視されてきたわけではない)小沢一郎的なるものが加わって、改正問題にいわば色彩による若干の違い、あるいは運動の加速の仕方の若干の違いというのが出てくるかもしれません。こうした政治分析・政治予測は、僕の専門ではございませんけれど、そういう問題をどう考えるべきかということに思いをめぐらす必要があるのかもしれません。しかしながら、改憲反対の一点にしぼって政治勢力の結集をおこないつつある我々が、あちら側の右往左往振りにかまけている必要はありません。
あるいはそうすることは正しくないのだ、と思います。向こうの改憲運動の日程や手順に多少遅れや緩みがでてくるにしても、「出る釘は打つ」という我々の政治目標に変化はないはずです。ゆるぎなく、我々は原理原則に徹して闘いを続け、カの結集に努めるのみです。

 明確に考えていたわけじゃないけれども、ある一つのレッテルとして、ああそうだ、やっぱりそうだよ、こういうふうに捉えればいいんだという手掛りの一つは、新聞に載っていた小さなコメントです。外から見れば日本の政情というのはよく見えるわけで、ことの本質とは言いませんが、一つのキャラクター、ある性格というのをうかがわせるということはできる、そういうコメントの一つがある新聞に載っていました。コロンビア大学の政治学の教授でジエラルド・カーティスという人が書いた論文です。それには、小沢一郎というのは戦略家ではなくて、戦術家だと規定し、そうした規定付けによって、小沢氏の動きについてある種の分析をしています。

 このばあい、戦略とは、全局的な見地からある種の原理原則にもとづいて広範な作戦計画を立て、個別の闘いをたばねて運用すること、と定義することができると思います。小沢氏は、そういう大局的な見地から物を考えるタイプの政治家ではない、とカーティス教授は考えるわけです。カーティス教授によれば、小沢氏は単に目先のことにだけ心が動き、小さな限定された目的達成のため、一生懸命になる策略家でしかないということになります。お手元の英和辞典を引いてみていただくと分かりますが、ストラテジーとタクティクスとの違いですよね。タクティシャン策略家というと、テクニシャンと言うか、タクティクスにたけるもの、つまり策略にたけるもの。

 ですから、策略にたけるやつのその策略がどこから出てどうなるかということは、僕らはあれこれと憶測する必要はないというか、それを憶測することにあまりエネルギーを費やす必要はないということ、そういうことを理解し、僕ら自身が割り切っていくべきだ。あれは策略である。策略にすぎない。策略が策略として意味があるのは、例えば総選挙という状況になった時で、そのときには、さあどうするかという問題が出てくるかもしれないけれど。憲法改正問題というのは、策略でもって動こうとしている力をどうやって原理的なるもので、あるいはもっと大きな歴史の中で捕まえていって、それを機に政治力を結集して戟うかという問題だと考えると、あまりちまちまと、ちまちました状況に捉われるべきではない。捉われてはならないのだ、という考えを僕はもつに至りました。僕は本当に政治問題の専門家ではございません。そのように受け止めて、我々も一応、我々の従来どおりの原理原則を立てて、進めていけばいいのだということだろうと思っているわけです。従来どおりというのは、何も反省するなという意味ではまったくなくて、従来どおりのことをどう思うかという議論を、皆さんでしていただき、それを確認したり、修正したりしながら展開するということと思っております。

 僕は立ち上げのメンバーの一人であったため、「九条の会」に関わらせていただいて、皆さんの声をお聞きして、そこで一種のコミュニケーションが生ずるなり、感じるなり、今まで考えてみなかったことがいろいろある中で、実を言うと、僕が学んだことはものすごく沢山ありまして、「九条の会」から何を学んだかということでお話したいというほど、大きいテーマではあるのです。地域の皆さんと接触する過程で気がついたことで、一つだけ言及させていただくと、「九条の会」の皆さんとある種の行動を一緒にする中で、僕は憲法研究者、とくに九〇年代以前の憲法研究者というのは、ある意味で憲法の解釈が固まっていたと気づきました。憲法の九条第二項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」といっている。自衛隊、つまり一九五四年にできあがった自衛隊法というのは、これは憲法違反ではないかー従来、憲法違反といえば一本調子に、とは言いませんけれど、そういうものとして展開してきました。いまでも僕はそう思っているけれども、しかし、それだけでは、いま九条を、特に九条の二項を改正しようとする動きには対抗し得ないらしい。憲法九条第二項を守ろうとする人たちは、ただ単に自衛隊反対という一つの解釈に基づいている人たちだけではなくて、どちらかというともっと別々に、いろんな根拠をもっている人たちがいる。今年に入ってから九条の改正に反対だ、やっぱり九条は守るべきだろうという意見ががぜんいろいろな、何と言いましょう、バラエティをつけながら出てきていて、新現象だなと僕は思っていました。

 いままであまり憲法問題や、あるいは憲法改正問題について語らなかった人びとの中から、新たに、憲法九条改正反対だという声がいろいろなニーズをもって出始めてきて、これは新しい現象として見るべきだぞと思っていたわけですが、先ほど小森さんのちょつと言われたことにも関係するのですけども、「私は憲法改正した方がいいと思うけれども、あの安倍総理だったら嫌だよ」という声が出てきて、これって何だと興味をもったわけです。すごいペースで、そして、憲法九条問題だけではなくて、稔ざらいで何もかも大急ぎでやろうとピッチを上げる。上げてきたつもりが、実は蹟きの石みたいなものを作るという結果となってしまって、「それはおかしいよ」、「こんなペースでやるべきじやないよ」、「あの人の下での憲法改正は絶対反対だ」、「私嫌だ」という声となり、その挙句のわけですよね。

 ですから、いま新しい現状が展開しつつあることを考えてみれば、もう一押ししたら向こうが壊れてしまうというほど生易しい状況ではないけども、憲法改正は反対だという声の根拠はさまざまにあり、そのいろんな根拠を僕たちはアピールして、「ねえ、憲法九条改正反対だよね」、「憲法改正することは良いことじやないよね」という声を糾合していく、そういう運動のありようが、「九条の会」の運動のありようの一つであろうと、僕は思うのです。
 僕はそれをオーバーラッピング・コンセンサスと呼ぼうと思う。オーバーラップと言いますね、重なり合う。この呼びやすい言葉でオーバーラッピング・コンセンサス、つまり、憲法改正には反対だという一点では、あるいはそうした結論ではオーバーラップしている、多くの人たちはその結論に至る筋道、いわば論理というのは異なっていても、結論はオーバーラップしている。憲法九条問題を政治問題として向こう方が蹴ってきた時、蹴り返すこと自身が政治的にぜひ必要である。こっち方が蹴りなおす、蹴る、蹴って返す、そうでなければ政治的に成功したことにならない。そうであれば、政治問題として向こう方が蹴ってきたなら、いろいろ理由は異なるにしても、これは断固として一点において糾合する。糾合して、現実の力関係の中にそれを反映させるというのが「九条の会」の一つの重要な使命なんだろうということを、九条の解釈にだけ凝り固まっていた奥平康弘は、「九条の会」に参加することによって気づき、九条の解釈だけでは改正反対の動きにはならんのだということを教訓として学んだわけです。

 とりあえず一番最初のお話で、わけのわからない話になってしまいましたが、終わります。




第二回全国交流集会でのあいさつー「報告集より」 文責 Y
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by 9jo-nara | 2008-01-29 23:13 | 全国の経験から

香芝ー2月定例「9の日・宣伝」

2月の「9の日・宣伝」の日程

日時 2月9日(土)午後4時

場所 オークワ鎌田店

担当 香芝東中学校区(チラシの作成・備品の搬送)
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by 9jo-nara | 2008-01-26 08:45 | 地域の「会」の活動

奈良市・登美ヶ丘ー宮尾弁護士のやさしい憲法講座

 登美ケ丘(奈良市)九条の会は2月3日午後l時半から、08年新春のつどいをおこないます。

 生駒コーラス「樫」によるうたと演奏、奈良弁護士会憲法問題責任者の
宮尾弁護士による講演「憲法ってなんなんだろう?」。

 会場はカトリック登美ヶ丘教会(登美ケ丘交差点北東角)。参加無料。
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by 9jo-nara | 2008-01-26 08:37 | 地域の「会」の活動

平群ー憲法を守ろう!新春凧揚げ大会

 憲法を守ろう!新春凧揚げ大会が20日、生駒郡平群町の中央公園グラウンドでおこなわれ、「憲法九条を守ろう」や「平和」と書いた手作りの凧ややっこ凧、洋凧(カイト)を手に手に、子どもづれの家族ら35人が参加しました。この取り組みは、「九条の会・へぐり」が昨年から実施し、今年で2回目です。

 午後からは、雪まじりの小雨というあいにくの天候のなかでしたが、よくあがる洋凧をひっぱりながらグラウンドを走り回る子どもたちや、凧のあげ方を孫に教えながらグラウンドを走り、「凧はあがらんかったけど、こっち(の息)があがった」と楽しそうに話すおじいちゃんなどみんなで凧場げを楽しみました。

 休憩所では用意された暖かいぜんざいをたべながら、憲法を守り、平和を
守る決意を述べ合い、交流しました。宮本次郎県議も参加しました。
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by 9jo-nara | 2008-01-26 08:33 | 地域の「会」の活動

広陵ー憲法をめぐる情勢を学ぶ

 広陵九条の会1周年 昨年2月に発足、1周年を迎える「奈良広陵九条の会」が2月日日午後1時半から、広陵町グリーンパレスで発足1周年の集いをおこないます。

 第1部はテノール歌手播本晃三さんの独唱、第2部は広陵町在住の広島
原爆被爆者である平松弘之さんの被爆体験、第3部は元立命館大学教授、日本近現代史研究者の鈴木良さんが「憲法をめぐる情勢とたたかい」をテーマに講演します。参加協力券500円が必要。
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by 9jo-nara | 2008-01-26 07:28 | 地域の「会」の活動

「格差」は人命軽視ー河合で音楽と講演のつどいー島本さん、労働など語る

 格差社会と平和、戦争を考える「苦楽と講演のつどい」 (同実行委主催、憲法9条の会王寺など後援)が二十日、河合町高塚合一丁目の町立文化会館まほろばホールで開かれた。

 「戦争で死ぬ、ということ」 (岩波新書)などの著書がある県在住のノンフィクション作家、島本慈子(やすこ)さん(五六)が「この時代に生きること、働くこと-憲法、戦争、ワーキングプア」をテーマに講演。

 「人権を踏みにじる格差社会は人命を軽視し、戦争を期待する社会につながる」とし、「非正規雇用が広がる今の格差社会は政策によるもの」 「労働者の人権を考えず、株主の利益を優先する社会は、利益追求から戦争を目指す。そんな社会を許してはならない」と話した。

 聴衆は真剣な表情で話に耳を傾けていた。

「奈良新聞」1/21付
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by 9jo-nara | 2008-01-21 13:31 | 地域の「会」の活動

いま憲法9条を宗教者は語るー新たに3名のインタビューが

 「いま憲法9条を宗教者は語る」ーインタビュー記事を、奈良宗教人の会が紹介しています。参考まで・・・。
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by 9jo-nara | 2008-01-17 13:56 | 全国の経験から

「日本の青空」大澤豊監督迎え3月2日つどいー生駒・郡山

「日本の青空」大澤豊監督迎え
3/2「春を呼ぶ平和の集い」郡山・生駒2会場 

 日本国憲法誕生をめぐる真実のドラマ、鈴木安蔵など憲法研究会の活動を描いた映画「日本の青空」の監督、大澤豊氏を招いた講演会が大和郡山市と生駒市でおこなわれます。両市とも3月2日開催です。

 大和郡山市は大和郡山市平和委員会が主催、「春を呼ぶ平和のつど(音楽と講演の夕べ)」としておこなわれ、郡山シティ・シャープサウンズの演奏と大澤氏の講演です。やまと郡山城ホールで午後1時開演(大澤氏の講演午後2時半頃からの予定)。資料代500円が必要です。連絡は電話0743(53)9401 日高さんまで。


 生駒市は、映画「日本の青空」上映(1回目午後2暗から、2回目午後5時20分から。「制作協力券」での鑑賞が可能です)とともに、午後4時20分から大澤氏の記念講演です。生駒市南コミュニティセンター(せせらぎホール)での開催。主催は生駒市平和委員会。連絡は電話0743(78)1982山上さん、充0743(75)3046真鍋さんまで。
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by 9jo-nara | 2008-01-17 11:38 | 地域の「会」の活動

ごせ9条の会が国道沿いに大型看板

ごせ9条の会が国道沿いに大型看板

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by 9jo-nara | 2008-01-11 14:58 | 地域の「会」の活動