「九条の会」奈良

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梅原猛さんの「思うままに」

「九条の会」よびかけ人の梅原猛さんが5月27 日付「東京新聞」(夕刊)の「思うままこ」欄に一文を寄せています。

梅原さんはまず、「改憲論議が盛んであるが、私は、必ずしも政治的意見が一致しない加藤周一氏や井上ひさし氏らとともに『九条の会』の呼びかけ人に名を連ねたほどの頑固な護憲論者である」と自己紹介。そのうえで、「私はほぼ自民党を支持し続けてきたが、その自民党が憲法9条を変えるとは、長年の友人に裏切られたような気持ちである」と言います。

そして、「憲法9条には、あの3百万人の日本国民及び約2千万人のアジア諸国民の命を奪った戦争に対する痛烈な反省と平和への熱い願いが込められているのでなかろうか」と指摘し、「私は徴兵を受けて軍隊に入り、戦争というものがいかに残虐なものであるかを身をもって知った最後の世代である」ことを紹介し、「おそらくぼけ老人の錯覚であろうが、自信ありげに颯爽(さっそう)と政治を執る人気の高い安倍首相の姿が、かつての近衛首相の姿と重なってみえる」と結んででいます。「九条の会」ニュースより
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by 9jo-nara | 2013-06-25 10:48

日本国憲法の値打ち-改憲の危機にどう立ちむかうか 森 英樹(名古屋大学名誉教授)

 本当の標的は九条

 安倍首相は1月30日の衆議院本会議で「96条改正に取り組んでいく」と表明しました。首相が国会で憲法の条項を名指しして改正に言及したのは史上初です。
 96条をなぜ変えるのかという論拠について、自民党のパンフはこう説明しています。「憲法改正は、国民投票に付して主権者である国民の意思を直接問うわけですから、国民に提案される前の国会での手続を余りに厳格にするのは、国民が憲法について意思を表明する機会が狭められることになり、かえって主権者である国民の意思を反映しないことになってしまう」。
 つまり、“主権者のため”という理屈を前面に出してるんです。
 2月8日の衆院予算委員会では、出来レース的に96条改正の理由を問い質した維新の会・中田宏議員に対して安倍首相が「国民の70%が憲法を変えたいと思っていたとしても、3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば指一本触れることができないというのはおかしい、という常識であります」と答えたんですね。中田議員は「96条の緩和は憲法改正の中身ではなく手続の話です。中身は慎重に様々な議論をしていく必要があるが、その議論を、緊張感をもって進めるためにも手続の緩和が必要なのです」と応じました。“主権者国民の過半数賛成で成立する憲法改正を、たかが国会議員、たかが3分の1が妨害しているのは実にけしからん”という理屈なんですけれども、学会に身を置く私たちにとって、実は初めて聞く論理です。また“改憲の中身ではなく手続論だから気楽にやろう”というのも乱暴な話です。
 彼らの本心はハッキリしていて、九条などの改憲をしやすくするために、まず96条のハードルを緩めておきたい。“主権者のため”というのはそれを隠蔽するための論拠であることは間違いありません。

 改憲は難しくて当然

 この理屈にどう反論していくのか。 なぜ憲法は一般の法律よりも改正が難しいのか”を突っ込んで議論する必要があります。
 憲法改正を一般の法律よりも難しくしている、いわゆる「硬性憲法」をほとんどの国が採用しているのは一体なぜなのか。そしてその奥にある近代憲法の理念とは一体何なのかということが、自民党の96条改正の論拠では意識的に無視されている気配があります。このあたりは長い憲法運動の中であまりちゃんと議論をしてこなかった問題領域ですので、急いで理解を深める必要があります。
 近代憲法の理念とは一体何か。これは解釈論ですけれども、憲法とは国民の自由と権利を確保する法であり、そのために国家権力に制限を加える法が憲法なんだ、という考え方です。生身の国家権力というのは放っておくと国民の権利や自由を奪いやすい、だから憲法で国家を縛るんだ、という考え方です。で、権力者はこういう理念を嫌いますから、憲法の変更を国家権力の一部である国会が提案する時にはハードルを高くしておく必要がある、こういう考え方で日本国憲法の改正手続は妥当なんだ、という理解の仕方のほうが学会ではむしろ常識です。
 安倍首相がそうした常識に反した言い方をしている背後には、自民党が公表した「日本国憲法改正草案」の中に、こういう近代憲法原則をやめてしまうんだということを示している箇所がいくつもあることと響き合っています。

 国民縛る憲法に逆転

 現在の憲法第97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と定めています。人権の永久不可侵性を謳(うた)って憲法の核心部分を掲げています。同98条で「この憲法は、国の最高法規」とあるのは、法のピラミッドの一番上にあるというだけではなくて、憲法がこのように基本的人権を保障しているから最高法規になったということであり、近代憲法の理念を見事に表しています。
 ところが自民党の「改正草案」では現憲法97条の条文は全て削除なんです。基本的人権の考え方が“けしからん、近代憲法やめる”って言ってるわけです。
 現在の憲法第99条では、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は」、ここでいう公務員はひと言で言えば権力担当者なんですが、その人々は「この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定めています。ここに挙げられている権力担当者たちは、放っておくと人権や国民生活を侵害する可能性が高い、いわばブラックリストだと言い放ったのは、あの毒舌の評論家・佐高(さたか)信(まこと)さんですけれども、全くその通りです。
 ところが「改正草案」第102条の2では憲法の尊重・擁護義務から「天皇又は摂政」を外しています。同1条で「天皇は、日本国の元首」としたことと深く関係があるんだろうと私は思いますが、ひと言でいうと権力者は天皇の名のもとで何をやっても自由ということになります。その上で、天皇以外の権力担当者の憲法尊重・擁護義務から「尊重」を外しました。じゃあ誰が「尊重」するのか。「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」(102条)と逆転しています。
 国民の人権・自由のために権力を縛るのが憲法なんだ、という理念に照らして「改正草案」を見ると、それはもう近代憲法ではない、国民を縛る憲法に転換したということです。近代憲法原則を平気で放棄する精神だから復古的な内容になったし、あるいは改正手続も緩和してしまうわけです。

 原点に返った運動を

 9条の精神というのは、そんな難しいものではありません。例えばNHK大河ドラマの「龍馬伝」では、薩長のいがみ合いを見ていた龍馬がひと言、こう言うんです。「殴り合いでは、なんも変わらんぜよ」。本当にその通り、9条精神ですよ。それを国民が深くうなずきながら見ている、そういうメンタリティーがあると思います。
 「八重の桜」では山本権八という八重の父親、この人、鉄砲師範だったんですけれども、鉄砲を撃ちたがる八重に対して諫(いさ)めるようにこういうセリフを言っておりました。「鉄砲は武器だ。戦(いくさ)になれば他人(ひと)さ撃ぢ殺す。鉄砲を撃づ怖れを知らず。形だけまねていだら、いづか己の身さ鉄砲に滅ぼされる」、まさにこういう9条精神を、日常生活の中で私たち市民は受けとっているわけです。
 この辺を手がかりに、もういちど憲法の原点に返った運動、原点に返った批判をいまの安倍政権にぶつけていくということが大事ではないかと思います。  (y)
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by 9jo-nara | 2013-06-18 17:12